【天野宗歩~藤井聡太】ざっくり将棋の歴史
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【天野宗歩~藤井聡太】ざっくり将棋の歴史
将棋の歴史、棋士の変遷をすごくざっくりまとめてみました。
※棋士の敬称略
~1900年代
将棋は古くから江戸時代(徳川幕府)から指されていたようです。
※もっと前の時代から将棋のゲーム自体はありましたが、今の形になったのがこの頃と言われているような。
有名な棋士として天野宗歩の棋譜が現在でも残っており、
現代のプロ棋士間でも研究がされています。
あの羽生善治も「歴史上で一番強い棋士(対局してみたい)はだれか」の質問に天野宗歩、升田幸三(後述)の
名前を挙げています。
1900年代~1960年代
時代は流れ、戦時中~戦後は木村義雄、升田幸三、大山康晴が活躍します。
升田幸三は「新手一生」をかかげ、升田式石田流などの様々な戦法を産み出し、定跡化されています。
大山康晴との闘いは伝説になっています。
大山康晴は受け将棋で有名で様々な棋譜が残されています。
60代に入られても現役バリバリで優秀な成績を収めてらっしゃいました。
ちなみに終戦後(1945年~)GHQの統制下で将棋廃止の危機に瀕したときに
升田幸三がGHQと交渉にあたり、廃止の危機を逃れます。
1960年代~1990年代
中原 誠、米長邦雄、大山康晴、加藤一二三(ひふみん) 時代の到来。
自然流と称される中原誠棋士、泥沼流と称される米長邦雄棋士、先述の大山康晴、加藤一二三棋士の
タイトル争いが繰り広げられます。
米長邦雄はのちの日本将棋連盟会長に。
この争いに食い込んでくるのが谷川浩二前将棋連盟会長です。
「光速の寄せ」で若干21歳でタイトルを奪取しました。(史上最年少名人)
終盤にスピードの概念を持ち込んだのはこの人だと言われています。
この時代の将棋は相矢倉将棋の全盛期で、多くの対局で指されました。
他の戦法が指されていないというわけではないですが、相矢倉が多かったように思います。
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1990年代~現代
上記のタイトル常連強豪棋士を打ち破り、一躍有名になったのが羽生善治。
1988年のNHK杯で大山康晴(3回戦)、加藤一二三(4回戦)、谷川浩二(準決勝)、中原誠(決勝)と
当時の名人経験者4人を打ち破り優勝を果たします。
そして史上初の棋戦七冠を達成します。
「羽生世代」と呼ばれる棋士は現将棋連盟会長 佐藤康光、森内俊之、郷田真隆、藤井猛など強豪揃いです。
のちに現竜王 渡辺 明などが台頭します。
現代に少し思うこと
最近の将棋界は将棋ソフト不正疑惑など暗いニュースしかなかったですが、
史上最年少の14歳2か月でプロ入りした藤井聡太四段の無敗13連勝など嬉しいニュースもあります。
将棋ソフト問題で一時プロ将棋大丈夫??な雰囲気になりましたが、
将棋ソフトにはない人間味あふれる対局がやっぱり面白い!!
ということを最近徒然思うわけです。
やっぱり人間だから感情移入しちゃいます。そこに将棋の面白さがあると思うのです・・・
仮に将棋棋士がいなくなって、将棋ソフト同士の対局が主流になったとして、
例えると誰も乗っていないスポーツーカー同士の対戦なわけで、誰も見ないでしょう。
誰が運転しているかにドラマがあると思うので・・・
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